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Blog/2017-04-19

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何事も腹八分目

過日「粗食は吉・美食は凶」と話したばかりで申し訳ないが
昨日怖さ半分で体重計に乗ったら、何と85キロを少しオーバであった。
もともと貧乏育ちで食べ物に好き嫌いの無い私は
木の芽時には、さらに何を食べても美味しいと思うからこれも困ったことである。
愚妻殿が準備するおかずの糧は大盛で、エンゲル係数は高く
もちろん家族は私一人が対象者である。

ならば、ご飯を減らしてくれと頼むのだが、次の時にはまた元通りの山盛りの土方飯。
もともと貧乏は板についているから、盛られた米粒は一粒も残さないのが決まり。
例え老体であろうとも体調の良さが食欲に繋がり、痩せる努力は難義である。
昔の古い話で申し訳ないが、お腹一杯にご飯が食べられる。
そんなささやかな動機が、船乗りの第一歩であった。

飯炊き時代はご飯を炊きながら、瀬戸内海の航路を学び
舵取りを学ばせてもらうために、時間が空けば何時間でもブリッジに佇んでいた。 
過酷な労働にも耐える事で、船の知識は知らず知らずに身についていった。
貧乏に育てば、例え欲しいと思うものがあっても欲しがらずに済すこともできた。
しかし、自分を含めて今の時代は逆で、物質的には耐える必要の無い
恵まれた環境に置かれているものである。

この現実もまた中々手ごわい。
目の前に好物の物を出されれば、健康管理も何のその。
ついつい手を出す恵比須顔であろう。 
昔から食べ物は残してはいけない。そんな教えから、余ったものを
自分のお腹で処理するのも、結局は食べ過ぎとなって頂けない話である。

昔なら、私の愛犬ですら、待ったをかければ、唾液をスダレの様に流しながら
いつまでも待ったものである。
「 忍耐は力なり 」
待ったが出来ない者には忍耐力もすでになかろうと思う。
正に「 富んで尚且つ、病める時代 」とは、自由にならない我が意のことである。

物事の価値は、「貧と富」「影と陽」「天と地」それらの差を持って知る事である。
満腹のお腹には、貧も富もなくただただ見苦しいだけの物体に等しいかと
行く末の我が健康を思う。 
その出っ張った体形に苦笑いして、何故かお腹を叩いてポンポンと音を立てている。
余談ではあるが、幼い頃お腹のことを「ポンポン」と言っていたのは
なるほど、この音のことかと、思い直してはまたポンポンとお腹を叩く、意志薄弱な我なり。



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