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Blog/2017-04-20

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怠るな 人生は一瞬に過ぎる

雨/嵐/晴れ/曇り/風と、目まぐるしい春の天気。日々は巡る。
昨日の某船・備考欄には「早い・早い・日にちがぶっ飛んでゆく・・」と
時の流れの速さを綴っていた。
高齢になれば、誰もが気のつかないうちに歳を取っている気がする。

朝が来る。そして夕焼けを拝む。
日々年を拾っているだけなのか、人生のコンベアーは決して止まらない。
今日も漠然と港の顔を見るだけの入れ出しの船舶。
運が良くて今日は一泊の船舶。
幸運の女神は、長く努力した船舶に乗り込むとは限らない。
毎日毎日春の空の如く、各船舶のポジションは場所を変える。

それらの日々にそれが当り前のように見えて、実は皆さんの努力や辛抱は大変なものである。
私も安全遵守を語り続けて20余年の年月が稲妻のごとく通り過ぎてゆく。
大変な努力を続けてきたものであるが、やはり私にもこの年月のスピードは
勢い加速で進んでいることを思う。

人は老いれば何故、時が早くなると感じるのか。
それは、新しいことをたくさん覚える若いうちは時間が長く感じ
経験を積んできて記憶することが少なくなると時間が短く感じるという説もある。 
50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが
5歳の人間にとっては5分の1に相当する。
従って5年しか生きていない人間にとっては、1年は長い長い時間と感じるに違いない。
感受性豊かな子供の頃の経験は新鮮な驚きに満ちているため
経験の内容が豊富で長く感じられ、大人になるにつれ新しい感動が少なく単調になり
時が早く過ぎるように感じる。
この法則をジャネーの法則と言うそうである。
故に、長生きを希望するなら、心を新たにして日々を感動
清新に生きることが大切ではなかろうか。


  • 「合掌の教え」

昔、貧しい我家にも何故か仏壇だけはあった。
その仏壇に、毎日朝食ごとに私の役目でお供えをする。
夕ご飯には長女がお供えを下げて、必ず線香を立てていた。
例え、その朝がさつま芋であっても、お供えの鉢に新しいお芋を入れ代えて
「 お父さん、お母さん、おあがり下さい 」と両手を合わせて合掌する教えであった。

今にして想えば、その教えはとても良かったと思う。
小さい頃から、仏壇に向かって手を合せる事は、一年も継続して実行すれば
自ずと合掌の気持ちは育つものであった。
「 右手は仏様で、左手は不浄な自分 」
両手を合せて深く頭を下げれば、子供は何も叱らなくても真っ直ぐに育つものである。

姉さんが「ハイ、今日の朝ごはんよ!お父さんとお母さんにあげてきなさい」
毎日毎日それを繰り返していれば、何も言わなくても仏壇の前ではお辞儀もするし
両手も合わすことが出来るようになった。
実際には生存していない両親が心の中には生きていて
守ってくれていると信じるようになるものである。
そして、自分の辛いときや恐いと思うときには
不思議と縁の乏しい父と母を密かに呼ぶのである。
「お母さん助けて・・・」と何度呼んだ事か。
それこそ我家の仏壇に合せ続けた両手が、そのままの自分の姿を見せるのである。
この世で自分以外にも頼る対象がある事は、なんと素晴らしい教えだと思わないだろうか。



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