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Blog/2017-06-27

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幼年期 在りし日の 回想

あれは私がまだ小学校に上がる前、7歳ころだったと思う。
「 あんたはねー、箱に詰められて、百島の砂浜へ流されてきた子よ」
突然に姉が、末っ子の私にそんな話を始めた。
符丁を合わせるように2番目の姉が「その箱をお母さんが海で拾って
家に持って帰ったんよー」である。 
幼い私はそんな作り話でも、姉たちの悪だくみの話を信じてしまうのであった。

涙がポロポロ溢れてきた! 
家を飛び出し、走った。
息を切らせながら、本家に居るお婆さんの懐に飛び込んで聞いた! 
おばあさんは笑いながら「そんなことは無いよ、亡くなったお母さんは
安夫が一番可愛いと、言っとったよー、それは姉ちゃんらにいたずら騙されただけよー」
半世紀前の取り留めのない、いじめ問答が昨日の事のように浮かんでくるのは
あまりに私の生い立ちが鮮烈であったから、幼少の記憶が強いに違いない。

今から思えば「あんたは他所の子」「捨てられていた子」と言ういじめは
子供心に相当のインパクトがあったのだと思う。
あり得ないことが「もし本当だったらどうしよう」「自分は捨て子や! いらない子や! 」
そんなショックが強かったのだと思う。

当時は新聞もラジオも無くて、テレビなる神器は夢のまた夢の世界であった。
そのような環境に生きれば、私の住む百島が日本で一番大きな島だと思っても不思議はなく
知識や情報は単なる島民の噂で得るだけであった。
それだけに子供の心は誰もが、天使みたいに汚れていなかったように思えた。
汚れのない心は透明過ぎて、どんな色にも直ぐに染まってしまうのも道理であった。

自分の誕生を信じるには、父は戦死し母も客船の衝突で亡くなってしまえば
私はもしかしたら、違う家の子かもしれないと思うには、あまりに条件が揃っていた。
子供心に多くの人に世話になりながら、毎日を生かされている条件を身に染みて感じていた。
昼間はお婆さんと過ごし、夜は親せきの家で、食事を頂きながら
転転々と食いつないでいた日々。
お婆さんは教えてくれた。
「ご飯を食べるときは、両手を合わせて頂きます」
食べたら「ご馳走様でした」と言いなさい。
それは「有難うございます」と言う意味である事。
こぼしたご飯の一粒も拾いなさい。
「頂いたものを大事にする」そんな意味であった。
そして大人になり年老いても、それらの教えは確かに生きているのである。

お婆さんは私を育てた仏様である。
「天からの命令で人は活かされている」
食事のときには両手を合わせて「頂きます」は「命を頂戴します」
それは人は常に他の多くの生き物を食べて
その命を自分の中に取り込んで生きているのだから
正に「命を頂きます」である。 
初夏になりお盆が近づく頃には、祖先を敬う思い出話に
お婆さんを思い出せば心には、ほのかな灯りがともる。



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