船舶管理から船員確保まで皆様のニーズにお答え致します

Blog/2017-10-04

Top / Blog / 2017-10-04

我が身をつねって 人の痛さを知る

時を惜しむ老人は過去を語り、若人たちは未来を語る。
昨晩遅く広島に帰って、話の準備も無いまま、今日もまた随分と昔の話にさかのぼる。
私がまだ長靴姿のみすぼらしい船乗りの卵時代。
時は昭和36年頃であったと思う。

裕福に見える親子が、車に乗って港に遊びに来ていた。
その当時、自家用車に乗っている人はまだ非常に少なかった。
私は竹ごしで編んだ買い物籠を提げて、これから乗組員の食料仕入れに出かける時であった。
子供は船からタラップ伝いに降りてきた私を指差して
「 お母さん!この人はこの船に乗っている人??? なんであんなかっこうしているの? 」
お母さんは答えた。
「 ちゃんと学校に入って勉強しないと、あの人のように船に乗らないといけないのよ 」
側を通り抜ける私には、その話が鮮明に聞こえてきた。
少年ながら、身分の違いに腹立たしいおもいで睨み返した覚えがある。

車社会は上流とされる頃、その家族はたまたま神戸港に船を見るために
ドライブに出かけたことであったろう。
少年であった私の心はその時、深く傷ついた。
その頃の私はまだ見習い乗船6ヶ月が過ぎるころで、いわゆる「 飯炊き 」であった。
あの時代は義務教育を終えると殆どの子供は働きに外に出された。

船乗りの第一段階は飯炊き係。
これを炊き(かしき)と言い、一人前の船乗りになるための見習い期間であった。
ぶかぶかの長靴を履いて、買い物籠姿は普通のスタイルであると思っていた。
しかし、私はその言葉に随分と傷ついて、以来マドロス帽を買って被り
買い物籠は勿論持ち歩かないようにしたほどであった。

今から思えば、「 職業に貴賎はなし 」といわれながら
その家族には私は船の下働きをする下賎な者と見えたに違いなかった。
そんな裕福な両親に育てられた子供が果たして、幾十年過ぎた今頃は
どの様な人生を歩んでいるものか、一度お目にかかりたいとさえ思うほど
長く引きずった傷心であった。

それでは、その考え方を次のように変えて教えたら
子供はどの様に反応して、どのように前途への夢を見るものであったろう。
「 坊や、あのお兄ちゃんがこうして家を離れて、船に乗って頑張っているから
  こうして坊やの乗っている車が出来たり、今着ている服や食べ物まで
  このお船が運んでくれているんだよ。
  お兄ちゃんたちにありがとうと言わなければならないのよ 」

子供には何事にも感謝する心を教えながら
人の道を正しく導かなければならないのではないだろうか。
私は学歴も無くて誉められた生き方も出来なかったけど
人間としては決して間違った道を歩んだ覚えは無かった。

貧乏だからこそ、若い頃の苦労にはしっかりと根を生やす努力を続けて来た。
それは、あの時の屈辱的な言葉を受けた、買い物籠に長靴姿があったからこそ
培われた心が育ったからに他ならない。
「 我が身をつねって、人の痛さをわきまえる 」
子供心にお婆さんが教えてくれた、相身互いの言葉が
今日まで私の心を真っ直ぐに歩ませてくれたのだと思っている。



a:95 t:1 y:1



コメント


認証コード(6684)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional