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Blog/2017-12-06

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気づいた時は もう遅い

自分の両親への恩を語る言葉に「 子を持って知る親の恩 」とある。
自分が親の立場になって初めて子育ての大変さがわかり
親の愛情の深さやありがたさがわかるということ。

幼いときから子供の成長を見守る親の苦労は、半端な苦労では済まされない
愛情のすべてが凝縮される。 
やがて自分が親になって老いたる両親の姿を見るとき
何とこの人達にあまえて育ってきたものだと感謝の念が湧き上がるものでなければならない。

逆に申せば、自分が体験するまではなかなか分からないことだと思える。
この諺を船の安全運航に置き換えれば、
残念ながら「海難事故を体験してみたことによって、初めて分かった安全の尊さ 」
と言う言葉にあてはまる。
この場合は「 安全 」が両親であり「 海難 」は愚かなる当事者と言うことになる。

愚かしいあて言葉であるかもしれないが、私が海難事故の処理にあたってきた現実は
まさに予期して発生させた事故は一件も見当たらない。
突然、我が身に降り掛かった災難に、打ちひしがれる人々の心の淵を
何度も覗いた気がした。
分かりきった事が、自分の甘えで気づくことができなくて
悲惨な事故を招いてしまった例は多い。

もっと早く反省の念が育っていれば、このように取り返しのつかない
迷惑をかけることも、自らが恥ずかしい思いを体験する事もなかった。 
海難審判で被告の席に立ったときではもう遅い。
親の恩と同じように、安全を尊ぶことはこの世に生存する、本当の価値を守ることであろう。
今、社会で注目を集めている政争にも「 原子力発電の是非 」が多く問われ続けている。
突き詰めて考えれば、これもまさに人類の生存をかけた
「 絶対安全 」の確約を語るものに違いない。

この世で一番立派な心とは、人を助ける心と感謝する心だという。
逆にこの世で一番悪い心は、人を倒し、物を粗末にする恨みの心だという。
自分の事は忘れて、人のために尽くすという事は本当に難しい限りのことである。
それが人の親となれば、我が子可愛さに見事に成し遂げられるのである。 
ところが自己中心的な人が一人介在する事で、船内の協力の和は吹き飛んでしまう。
物を粗末にして船内に不協和の風を吹かせる者は感謝も知らず
ただ恨むだけで秩序を無視した海難事故へと直進する。 

衝突・座礁・自然災害、いつ何時、自分の近々で起こる出来事であるかもしれない。
皆さんが乗船する船は皆さんの命を守る親でなくてなんであろう・・・
そこに働く子供たちよ「 安全遵守 」こそ
我が親に向った孝行〔 航行 〕ではないだろうか。
一つ船に乗る仲間がお互いの間に協力と信頼を結べば
「 絶対安心 」の輪は末永く大きく広がるに違いない。



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