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Blog/2018-03-05

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毎日の洗顔と 安全遵守は常識

毎日毎日、安全の文字を並べては消し、また積み重ねては子供のブロックのように分解する。
毎日の生活に密着したテーマを探しては
なるべく安全意識が身近に感じられるように構成していく。
そこには船舶という職場に皆さんの生活があり
さらに果てしない運航が続く限り、当てのない旅立ちに終わりはない。

つまり「安全」とは生きる道を言うものであり
「安心と信頼を築く」意味にも取れるのではないだろうか。 
「安全とは危険を認識する事」に始まり、穏やかなる生活を維持するための
防波堤を築くことでもある。
しかし、その防波堤が高く築けて安心した状態が続いたとしても
そこにはまた意識の中に油断という「 獅子身中の虫 」が発生するから
非常に厄介である。

安全を目指す者には、これでよいという休憩は全くない。 
災害事故は、今日が安全であり今まで元気であっても
人が生活して活動する限り、生涯を通して完結できない厄介な代物である。 
それは、誰もが予想しなかった大津波しかり
4年前に発生した長野県の御嶽山の火山爆発然り
58人もの登山者が予測しがたい犠牲になったことは記憶に新しい。

これ等の重大震災を予想できた人が日本中に一人でも居たのだろうか・・・
念には念を入れていても、心の油断・食の不安全・交通の不安全
不健康・想定外の自然現象・職場の不安全・労働意欲の低下
など等、人の行くところには、常に思わぬ想定外が待っていることは
多岐に渡って存在する。
更に、皆さんは生活と職場が常に密着して、海の危険と隣りあわせである事は
ご承知の通りである。
出来る事は自主的に心掛けて、安全意識の高揚には手を抜くことがあってはならない。
それは決して難しいことでも、改めて猛勉強しなければならないことでもない。 
安全運動とは当たり前のことが当たり前に出来る事を言うものであり
「徹底した常識の適用にあり」といえる。

人として常識を守ることはたやすいようで難しく
実務として安全への道に私情が絡めば、安全遵守は険しいものとなる。
人はその常識が時々守れなくなるから、危険が消滅することは難しい。
例えば、車の運転には法定スピードが定められている。
それこそが常識中の常識である。
しかし、その常識を守る事が難しいところに安全のヒントがある。

皆さんは毎日、自分の顔だけは欠かすことなく洗顔する。
そして歯も磨く。
それが常識でもある。
それならば同じように取り扱う機械にも顔がある。
その顔なるものに手入れを欠かさなければ、機械はいつも生き生きと性能を発揮して
人の顔と同じように、見事にピカピカに輝くのではないだろうか。
それこそが本当の安全遵守と言う常識だと私は思う。



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