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Blog/2018-04-06

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地獄と極楽は 心の持ちよう

私が船に乗った当時 (昭和35年) は、まだ「 飯炊き 」という制度が生きていた。
おおよそ1年と6カ月程度は「 乗組員の食事を作る作業 」として
下働きをしてきたものである。
苦しいと思っていたその当時の方が、むしろふり返れば楽しくて
脆弱な私の性格を叩きなおすには、丁度良い時期でもあった。
やがて正規の甲板員になり、更に1年もすれば操舵手へと昇進していった。

その当時、私は年老いた一航士にとても可愛がられたことが、今でも懐かしく思い出される。
彼は自分の休む時間を割きながらも、私に瀬戸内海の島々や
狭水道の走り方を熱心に指導してもらうことが出来た。
私の心に親切を植え付けた彼は、必ずこう言った。
「 昔の貧乏なんかどうでも良いことだ。大切なのは今からどう生きるかだ。
  今からどう努力するかだ!悔しかったら勉強して船長になりなさい! 」
この言葉は、私を前向きにさせる「 一陣の風 」になって
今でも心にしまわれている大切な教えとなった。
その人こそ私にとっては、極楽浄土の出会いであった気がする。

午後のひと時、読んだ一冊の本(法話)から得た種ではあるが
味わい深い話なのでここに紹介して皆さんの退屈を少し晴らしてみよう。

あるお寺で若い修行僧が老師に、「 あの世には地獄と極楽があるそうですが
地獄とはどんなところなのですか 」と尋ねました。
すると老師はさもあの世の地獄と極楽を見てきたかのように、次のように答えました。
「 確かにあの世には地獄もあれば、極楽もある。
  しかし、誰もがこの世で想像しているほどの、違いがあるわけではなく
  外見上は全く同じ場所だった。ただ一つ違っているのは
  そこにいる人たちの心が違っていた。 」

老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜があり
そこには同じように美味しそうな「 うどん 」が、ぐつぐつと煮えていたという。
ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で長さが一メートルほどの
長い箸を使うしかない。
地獄に住んでいる人は皆、われ先にうどんを食べようと争って
箸を釜に突っ込んでうどんを掴もうとしますが
あまりに箸が長く掴んでも、掴んでも上手く口まで運べません。
しまいには他人が掴んだうどんを無理やり奪おうと争い
ケンカになってうどんは飛び散り、誰一人として目の前のうどんを口にすることはできない。
美味しそうなうどんを目の前にしながら、誰もが飢えて痩せ衰えている。
それが地獄の光景だというのです。

それに対して極楽では、同じ条件もまったく違う光景が繰り広げられていました。
誰もが自分の長い箸でうどんを掴むと、釜の向こう側にいる人の口へと運び
「 あなたからお先にどうぞ 」と食べさせてあげる。
そうやってうどんを食べた人も「 ありがとう。次は貴方の番です 」と、
お返しにうどんを取ってあげます。
ですから極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる。
同じような世界に住んでいても、あたたかい思いやりの心を持てるかどうかで
そこが極楽にも地獄にもなるという話でした。

船という一つの職場の食卓も、長い箸から差し出されるうどんでありたいと思った次第。
世のため、人のため、職場のために感動した、いい話でした。



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