Blog/2018-04-11
羹(あつもの)に懲り(こり)て なますを吹く
羹に懲りて なますを吹く
(ある失敗に懲りて、必要以上に用心深くなり無意味な心配をすることのたとえ)
安全は理屈ではなく、大切なことだと心に感じて実行し
形にしなければ何の効果も表れない!!
その中では、特に人を大事にする気持ちが大切である。
「 規則や衝突予防法さえ守っていれば、海難事故は無くなる 」
だから「 怪我をする奴らが悪いのだ 」などと考えてはならない。
基本的には、安全遵守とは人を大事にする心から始まらなければならない。
そんな意味では人を粗末に扱う職場に安全が定着する道理は成り立たない。
そのような考えのもとに、安全運動を展開する場合
乗組員は自分の家族だと思えば、物事は理解がしやすくなる。
自分の家族に怪我をさせたり危険な目に合わせれば、どんな理由があろうとも
二度と怪我をさせない対策を考えて実行する。
勿論、身内を守るための愛情が先行すれば、投げやり的な行動も考え方も
影をひそめるであろう。
結局は安全運航に含まれる大切な要素には
人間の本質的な愛情・憎悪の問題が存在する結論にもなる。
何処の職場であっても海難事故や怪我が発生したら、お互いの信頼関係から逸脱して
原因や根拠を突き止めることだけに終始一貫する。
その実、本人の態度に起因している心意的な側面は置き去りにすることが多い。
何故、海難事故は起きるのか、災害を防止するための困難とは何であるのか?
私は次の三つの理由があると考える。
第一に、危険度に対して身体実験をしてみることは出来ない。
( 仮に船舶を衝突させてみて、その恐怖の結果を実験とすることはできない。 )
第二に、災害や海難事故の殆どが本人の態度に起因していること。
( 人の心は誰も見抜くことはできない。 本人の投げやり的な態度や反省をしない心根に、大きな原因が含まれている。 )
第三は、安全に固定不変のものは存在しない。
( この世は常に変化して移りゆく。まして船舶は同じところに留まらない以上、状況は千変万化に等しい。人の心が諸行無常を熟知しない限り、突然の変化には対応はできない。 )
海の仕事に従事する者は、上記の3項目を承知することは勿論のこと
「 羹に懲りて なますを吹く 」であってはならない。
人間は何事にもよらず、痛い目に合うと、懲りて目が覚めるものであるが
懲りた後ではもう遅い・・・。
その真実を正面から自覚しなければ、安全運動など有って無きに等しい理論になってしまう。
懲りる前に懲りなさい。
その意味が「 安全十訓とか絶対厳守事項 」になって表示してある意味を深く考えてみたい。
そして、二度と同じ禍に泣かないためにも、貴方の今日の隣人を思いやろう。
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