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Blog/2018-05-15

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責任感は 職場の礎

大槻文彦著の「 大言海 」
辞書によれば、「 ひま 」はレジャーとして時間の「 ひま 」ではなく
「 日間 」日の光の射しこむ間と記されている。 
忙しすぎてスケジュールが一杯詰まっているとき、人の心には光の射しこむ隙間がなくなる。 
そうなれば忙しすぎるということは、次第に疲労が重なり、心は正しく制御しなくなる。 
そんなところで、忙しいという文字を分解すれば、心を亡〔 ほろ 〕ぼし
ゆとりを失わせる危険が伴う行為と解する。

その昔、私は釧路から横浜へ穀物を運ぶ船舶に船長として乗船していた。
今から30年もの昔物語である。
レーダーは旧式でただ映るというだけの代物であったから
船長の経験だけが頼りのレーダー航法であった。
釧路で小麦を満載して一路京浜へ。
港内は大ガスのままに数日が霧の中であった。

濃霧だからと言っても北の海での濃霧は、何日も続くために避難することも出来ず
東北の金華山近くまで辿れば、何とか霧も晴れるだろうと
重い腰をあげながら濃霧の中を旅立っていった。 
一台しかない旧式のレーダーに掛かりっきりで、襟裳岬を通過。
尻屋崎・・八戸沖・・
出港より18時間は流石に疲れを覚えたが、性能の悪いレーダーだけが頼りの航海には
船長として船橋から席を外すことは出来なかった。

船首のマストまで見えない完全な無視界状態は、一向に晴れる様子もなく
三陸沖にも濃霧警報が保安チャンネルでしきりに叫ばれていた。 
何度も危険な向き合い船状況を避けながら、やがて自分の体力の限界を感じれば
安全と言う二文字はかすみ始めてくる。
気がつけば、私はレーダーの覗き窓にうつ伏したまま眠っていたことを思い出す。

結局は3時間だけ宮古沖に錨を下ろして休み、あらためて霧の海にトライを繰り返した。
しかし、この思い出が深いのは、とうとう東京湾まで視界がゼロのまま
2昼夜以上の航海を続けた、稀にみる過酷な条件であったからであろう。
私は横浜へ無事に入港したら、まるで記憶がなくなるほど爆睡したものである。
 
今時の濃霧は、レーダーの性能も向上して2台設備してあり
相手船の進路を読み取れるものが多くなっているが
それでも鼻をつままれても分からないような、濃いガスの続く海域では
船長の立直式は欠かす事の出来ない、安全の礎〔 いしずえ 〕である。
長い海上経歴の中で、霧による衝突と沈没の連絡を受けて
現地に飛び立った体験は2度あったが、やはり湿度の高い今時の時節であった。

悲しいことに、いずれの結果も船橋には船長の姿はなかった。
忙しさのために「 安全と言う心 」に「 日の光 」が射しこむ事は無かったのだろうか・・・
僅かの睡眠を惜しんだ船長には「 船長の指揮監督義務 」を怠った責めは免れない。

船長が居てくれたら・・・
おそらくどの衝突も避けられたに違いなかった。
誰に指示されて船長になったわけでもない。
自分が選んで歩き出した船長と言う要職である。
辛くとも心に光を当て苦難を乗越え、職場を安全に導く使命を怠ってはならない。



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