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Blog/2018-05-30

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老醜と老熟

私ごとき高齢者になると時の移ろうごとに、いつも同じ思いにとらわれる。
「もう何月だ・梅雨が過ぎればもう夏が来る・そして秋、人生は坂道を下るがごとき・・」
「 また一つ歳を拾ってしまう 」そしてまた思う。
「 先が見えそうな頂き、階段の数をついつい数えてしまう 」

そして歳を拾う事が、まるで罪悪だと思い始める。 
そして、又しばらくしたら、今度は考え方を改め、なにくそ!と思う。
「 何かを失うということは、別の何かを得ることでもあるのだ 」と、思いをあらためる。

若い頃には思いもしなかった「 今日の無事をありがたい 」と思いつつ眠り
朝の目覚めには何事も無く目覚めた事に「 生かされた 」と、感謝が生まれる。
老いる思いを老醜として捉えるか、老熟と捉えるか
それぞれの心の持ちどころではないだろうか。
とかく老人は醜い・臭い・よわよわしい・シワだらけだ・等と捉えれば
年齢はどんどん社会から遠ざかって、思いの通りに老醜へとさげすまれていくだろう。

しかし、今日の寿命を感謝できて、他人に頭を下げることの出来る謙虚さを持てば
長く生きてきた経験は老熟となり、いぶし銀の如ししぶさを見せるに違いない。
若さは強さであり、美であり、活力であり、未来である。
しかし、それらも礼儀を忘れ、勤勉を怠り、乱暴なおごりだけの若さは
むしろ醜態といわざるを得ない。
 
若者は老人の知恵を尊敬し、老人は「 老いては子に従え 」と
謙虚にひかえる心で交われば、少子高齢社会といえども日本人の知恵は
決して滅びるものではない。
老いたれば、二度と若がえることは出来ないが、決して悲しいことだと思ってはならない。
「 人は何かを失えば、必ず何かを得るはずである 」

老いた深い経験からは我慢と知恵を授かり
新しい何かを創造してゆくべきではないだろうか。
若者のように飛んだり跳ねたりは出来ないが
残された年月と時を貴重な授かり物として、輝いて生きていくことはできる。
それが、年輪として加えられる知恵であり
残された個々のチャレンジではないだろうか。

「 老いたる馬は路を忘れず 」諺にある。
道に迷ったとき、老馬を放ってあとからついて行けば道がわかるということから
経験を積んだ者は、自分のとるべき道を誤らない。
海の安全・・船内の融和「老馬の智」に学ばん。



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