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Blog/2018-06-14

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いただきます その心

私の幼いころはまだ日本全体が低成長で貧しく
我家も何とか食べていければ良いと思う時代であった。
そんな社会情勢で、父は戦争の犠牲者となり帰らず、一家を細腕で支えていた母は
旅客船の衝突事故で一命を落としたわけだから
我家の貧乏は究極であった。

残された5人の兄弟がどのように貧しい生活で育ったものか
想像するだけでも推して知るべし。
毎日毎日、丸いちゃぶ台の上に乗るのは、ジャガイモだけの日が続く。
それ以外には何もないわけだから、我儘を言うことも決まっていた。
「 また今日もジャガイモ?・・・ 」
姉はすかさず「 気に入らなければ食べなければいいよ。これしかないから 」
と切り返す。

勿論、返す言葉はあり得ない、空腹で死ぬわけにはいかない。
生きるために、黙って水でジャガイモを胃の中に流し込む。
あの境遇では、テーブルに食べ物がのっているだけでも、それは有り難い事であった。
そして、半世紀以上の年月が過ぎていった。

どのように反省しても、恵まれた生活になれた今は
大切なものをすっかり忘れていることに気がつく。
昨晩も仕事に疲れて我家にたどり着いた。
我家の夕食は鯵の塩焼きが香ばしい香りをダイニング一杯に広がっていた。
通勤着から普段着に着替える間もなく、テーブルに向かって缶ビールを開ける。

贅沢に馴れきった普段の生活は、恵まれている感謝も忘れて
いきなり「 うまそう~ 」といいながら魚をつまむ。
「 味が薄い 」だの「 何で刺身が無いの」「 漬物は・・」などといいながら
振り返れば、贅沢に馴れきった慢心の自分がそこに居る。
人は贅沢に慣れるごとに、感謝が薄らぎ、同時に礼儀も失っていくことに気づく。
昔はジャガイモの皮ですらもったいなくて剥かないで、丸ごとのまま茹で上げていた。

私の育った原点はジャガイモと麦飯であった。
牛乳もなかった。
ポン酢もなかった。
鶏肉なんて一年に1回か2回程度、口に入るのが精一杯の贅沢であった。
その頃は「 今日一日、一口、何かが食べられれば幸せであった」
そんな時代であった。

人は誰でも、貧しかった原点を忘れてはならない。
毎日食べ物があるだけでも、実はそれは幸せなことではなかろうか。
地球の何処かの果てに、今も一口のパンを求めている人は沢山居る。
乗組みの皆さんにはカップラーメンの人も居る。
贅沢にウナギの人も居る。
健康に食事が出来る事、それだけでも本当はとても幸せなことではないだろうか。



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