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Blog/2018-08-03

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生命を授かるは奇跡

先日、我家にもお寺さんから、お盆を迎える巡回供養の日取り連絡がとどけられた。
お盆の入り(13日)間近、家の前で火を焚き祖先の霊を迎える。
これが迎え火。
お盆明け(16日)の夕方に火を焚いて祖先の霊を帰す。 
迎え火、送り火の習俗は江戸時代から現代に至るまでの大よそ400年もの間
人間の絆を尊ぶための長い歴史の中に、今も息づいている。

人々が祖先の霊を敬いながら子孫代々までの繁栄を願うように
私たちもまた一緒に働く多くの仲間とつながり、助けあって生きているものである。 
言い換えれば人は自分だけを大事に生きていく事は出来ない。
誰もが自分さえ良ければと考えて行動すれば、大きな衝突を引き起こし
周囲の人を巻き込んで混乱させ、結局は自らも上手く導く事も出来ず
不幸に陥ることは多い。

お盆の行事と言うものは、人間の絆を大切にするため、祖先の残した導きである。
そして他人を大事にする事は、行き着く先は自分を大事にする事に違いない。 
今、失いかけている人間同士の信頼感情を、もう一度、共存共栄の精神に戻す事こそ
祖先の霊を敬う迎え火の中にあるのかもしれない。

人が人を大切だと思わなければ、この世は欲の皮を貼り付けた亡者の集まりになってしまう。
そこでお釈迦さまは、「 爪上の土 」というたとえ話をされた。
弟子達を前にされて話された。
一つまみの土を手のひらに載せられて「 そこの者、一つまみの手のひらの土と
この大地の土の量とはどちらが多いと思うか 」
その弟子は「 お釈迦さま、それは勿論、大地の土の量が
比べ物にならないくらい多いものであります 」と答えた。
お釈迦様は「 まことにその通りである。そのように、この世に生まれる生きものは
大地の土の量ほど無限に多いが、人間として生まれでたものは
この手のひらの上の土の量のごとく、まことに少ない偶然である 」
と説かれたという。

さてここで安全の問題を考える場合、特に強調したいと思うのは
数に限りある手のひらの希少価値の生命は、同じ生き物の中の獣たちとは
値打ちが全く異なる尊厳である。 
人間として生まれてきた幸せを重んじればこそ、心してお互いの
安全を損ねる事があってはならない。
その尊さを肝に銘じて安全遵守に努める事こそ「 人身を得ること難し 」に報いる
人として本来の生き方でないだろうか。

お盆の迎え火に子々孫々、ご先祖様を迎えて手を合わせる。
今日この世にあるのもご先祖様のお陰です。 
命を尊び今日も安全に生き抜かなければならない。
人としての勤めを果たして・・。



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