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Blog/2018-08-27

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危険はいつも他人事

無事故の日々が続く。
夏空の晴れ渡る日々が続く。
それらの日々が日常的になったとき、平穏は永遠に続くものだと人々は錯覚してしまう。 
晴れ渡る日々にもやがて雲が垂れ込め、その先に雨が訪れるように
幸せの温かさに包まれているとき、人は、それが永遠に続くものだと信じてしまう。
しかし、永遠に続くという現象は、この世には何一つ存在しない。

無事故と言う高いハードルが続けば、この幸せがいつまでも続く道理はありえない・・・。
人間だから間違える・うっかりする・忘れる・気がつかない
不注意がある・一つのことしか見えない・先を急ぐ・感情に走る
思い込む・横着がある・慌てる・人の見ていないところで違反する。
人為的にも数えられないほど原因が存在する。

それではその不幸のヒューマンエラーは一体いつ放たれるのか? 
残念ながら油断の階段を登り始めている現実を誰もが気づかない。 
もしそのエックスデーなる不幸を遠ざける手法があるとしたら
それはどのようなことであろうか。

単純に運に頼るだけのことではなく、気がついた危険は遠ざけるために最善をつくし
安全平穏・継続のためには、最大限の努力を払わなければならない。 
人生は表裏一体、表・裏の無いのっぺら坊の人生などあり得ない。
常に表の次には裏が訪れ、裏の次には表が代わってやってくる。

私は安全運動の難しさは、この表裏一体の原理の中に存在するのだと思う。
安全の裏側には必ず危険が存在する・・・
それではその危険を確実なものとして体験する事ができるかと言えば
危険の練習を積むことは、死を意味する事でもあり不可能に近い。 
日常は様々に変化を繰り返しつつ、危険へと迫る現象は多い。
西日本集中豪雨の被災などは誰にも推測の出来なかった安全神話の裏側の現象である。

進んだ気象概況も、予測できたはずの大惨事は防ぐことはできなかった。
神のみぞ知る非情なる結論であろう。 
私たちの職場にも追いすがる不安全が忍び寄っている。
そして「安全丸」は必死に櫂を漕ぐ。
追いつかれれば、そこに並んだ白星☆マークはゼロになる。
「 日常の油断一つ 」屈辱と言う悲しみが忍び寄る。

「 油断 」と言う原因をなぜ・なぜ・という言葉に置き換えて悲しみの海を泳ぐのである。
誰もが危険は他人事であって、自分に置き換えることの出来ないところに落とし穴がある。
「 安全安心 」とは、二度と同じ種類の災害を繰り返さないために
無益とも思える用心を繰り返すことであり、安心できる日常の裏側には
常に危険が潜むことを念頭に置くべきに違いない。



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