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Blog/2018-09-20

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祈る 願う 無心が広がる

人間を長くやっていれば、誰だって心には様々な分厚い錆が付く。
まるで老朽船の船底のように、錆・ペンキのささくれ・ひずみ・海草やフジツボ・・・
船体は抵抗で重くなり速力も下がってくる。

人間関係のしがらみに疲れて、いつしか心身は重くなり思考も精彩を欠く。
義理と人情を引きずって、どこまでもかっこよい人間像を目指しながら
結局は心のどこかで善悪が入り交ざり、濁った人生は理想と違う喪失感にさいなまれる。
このような心理を無力感・自信喪失・滅入る・意気消沈・落胆などと言う。

若い頃にはワクワクする躍動感で、純粋に胸がときめいたものである。
しかし、次第に歳を重ねた経験は、利害・損得で先回りすし
計らいごとに長けて先へ先へと反応する。 
つまり不純な雑念が心に堆積するきっかけである。 
人は人に影響を受けて心はいつしか疲れて重くなる。
それが人生の垢であり、溜まっては困る脂肪のように心中にへばりついて堆積する。

生活に疲れた重い心を説明すれば、話は次第に陰湿に感じるが
何事も思考の角度を変えれば、そこにはまったく違った視界を開く事ができる。
人生もまんざら捨てたものではない。

禅の教えるところによれば、手を合わせて祈る行為は
ひたすらなる無心を意味するとある。
つまり、汚れの堆積した心を空っぽにできるものがあるとしたら
神社やお寺の本堂などに向って目をつむり、静かに手を合わせれば
いつしか無心の自分がそこにいることに気が付く。

彼岸のお墓参り、帰り道は何故か、心のどこかで清々しい気持ちになっていることに気づく。
その清々しさこそ雑念の去った「 無心 」を言うものではないだろうか。
皆さんの船舶に備えある船橋の「 船神さん 」に水をあげて
一礼し拍手を打ってみれば分かる。  
何故か、心は今までより数段軽くなることが分かる。安全意識の発信と受信である。

私がよく伝える言葉に「 今日も皆さんの安全航海を祈ります 」
一行の言葉の中にも、祈りの行為は存在し、伝える方が気持ちは穏やかになる。 
祈る事は今までの雑念を振り払い、心を空っぽにすることができる。 
そこから、新しい考え方や希望が見えてくる。 
そして悩みを客観的に捉える事ができる。  
歴史上、今も途絶えることのない祈りの精神は、安全のために供えられた
身近な「船神様」を掃除して、常に礼拝を忘れない心を持つことではないだろうか。



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