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Blog/2018-11-02

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命をつなぐ人の道

紅葉の季節、落ち葉は腐れて分解され、土壌の一部と化す。
そして「 人も老いては土に親しみ、土に還る 」
死んで朽ち果てる、言葉を思いだしながら、畑に出ては草をとり、土を耕し種を蒔く。
私の場合は面積も小さくて、休日だけに許される趣味の範囲であるが
育てた野菜が自分の食卓にあがれば、流した汗の量だけはありがたいと思う。

苦労して育んだ分だけ、その野菜が美味しいと思うから不思議である。 
野菜作りを職業にする農家の人達にしてみれば、私ごとき趣味の範囲で
物事を考える事は出来ない。
病害虫の被害にあわないように神経を配り、一粒の種・一芽の生育が
生活に結びつく命の作業である。

例えば1,000個のキャベツ1個100円の値段で市場に出荷しても、10万円の収入にしかならない。
そのための出荷までの時間はゆうに3ヶ月の時を要する。 
種類もニンジン・大根・ホウレン草へと生きるための野菜作りも
大変な労力であろうと、感心させられる思いである。

昔から神社仏閣は人里遠く、深山に建立されていた。 
山には畑がないから、托鉢僧は念仏を唱えながら郷へと降りていく。 
遠い道を歩けば歩くほど、お布施として食べるものを頂けるのであるが
その日の食べる糧だけを頂けば、また山寺に帰っていく。 
山を下りて歩く距離・汗・念仏の回数、その供養の糧だけを頂いて又山寺に帰っていく。

「 働かざる者 喰うべからず 」とは、この修行僧を言うのかもしれない。
山を降りなければ、食料にはありつけない。
「 一日なさざれば 一日食らわず 」の言葉こそ
食することへの感謝の念仏であったのかもしれない。 
野菜の成長を目の当たりに感じながら思うこととは
農業とは命を育てていることに違いない。

海で働く屈強な男たちは、荒波を乗越えて仕事をする。 
家族を離れて四面楚歌の海で時を売る仕事である。
それもまた山寺から托鉢に出かける、修行僧の働きにも似て見える。
キャベツを大事に育てるのも苦労。
海で時を過ごすのも、また苦労。 
与えられた仕事を立派に仕立てることが、自分を育てることに違いないと思えないだろうか。
 
3日見なかった野菜の一芽は二葉から四葉に見事に成長している。 
海の男の畑にも辛抱と言う種が蒔かれて、野菜という命の芽が育つ。 
その日の托鉢の収穫を待つのは、安否を気遣う家族であろうか。 
人の生きる道は全てが命を繋ぐ道に違いない。



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