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Blog/2018-12-17

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人間という花は 苦労という水で開花する

その昔、私がまだ船に見習いで乗り始めた頃、設備は全てが旧式であったから
今のように陸上からレッカー車が来たり、備え付けのクレーンで
貨物を吊り上げる設備は少なかった。
貨物船には大きなマストがあって、そのマストに吊り下げられたデリックが
それぞれのハッチに設備されていた。 

デリックを船幅より大きく立ち上げてVの字に開き
滑車を伝ったワイヤーで貨物を巻き上げ下げする荷役設備であった。 
この方式を「 喧嘩巻き 」と呼んでいた。
この船のマストに取り付けられた、喧嘩巻きの貨物の下で
直接働くのが我々乗組員であった。

その当時、鎗内の作業は乗組員が行い、陸上に揚げられた貨物作業は
陸上の人が手配していたことが多かった。 
その為に、今の船型の船舶〔 499トン型 〕であったら
12人~14人程度の乗組員が乗船していた。
航海に入れば操船を習い、港に着けば艙内に入って貨物の下で働いた。
それは、想像を絶する過酷な仕事であり、油断すれば崩れ落ちた貨物の下敷きになって
何人もの人達が怪我をして、職場を去ったことを覚えている。

素人も玄人も無い、生きるために一寸の油断も出来ない戦い。
今から思えばヘルメットも安全靴も無く、労働者には人を人としない
無防備で過酷なシステムであった。 
当時、日本全体が発展途上にあり、全ての設備が不完全な時代であった。 
犠牲者はそこに働く下層の労働者達であり、常に危険と背中合わせに
生命を守る事がこの世を生き抜くための、的であったように思う。

吊り上げた貨物の下に一斉に飛び込み、次に揚げる積荷を身軽にさばく気合が必要であった。
汗は身体中にほとばしり、まさに戦々恐々の戦いが続いた。
それは、汗と埃の濡れ鼠の暮らしに似ていた。

今から思えば、その時代があったから、一つ一つの物事に今昔を照らしてみることが出来る。
その当時、今は使い捨ての軍手の一双も無くて、脚には穴あきの長靴が
古びてまとわり付いていた。
様々な苦労を経験する事は、多くを見比べる物指しを持つことであり
苦労の道の中に出会う事柄は、物事の本当の価値を知る機会でもあった。

どんな場合も不平を言わず、自分の持てる力にベストを尽くした時は
人間と言う花は必ず開花できるのではないだろうか。
不平もあろう、睡眠不足もあろう・・・
しかしそれらを乗り越えて、今日も一日明るく頑張る。
生きる事の苦労は全てが自分のためにある。



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