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Blog/2019-03-27

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安に居て 危を思う

「 安に居て 危を思う 」
平穏な日々を送っている時にでもつねに非常の場合
危機の到来した場合のことを念頭において備えておきたい、
戒めの意味を言う。

ある年齢に達すると皆さんはこう言う。
「 昔は高いマストでも平気で登ってペンキを塗ったり
  マスト灯を取り替えたりしたものである。 しかし、よる年並みには勝てない。
  足が震えて高いところに登る事ができない! 」
高所に対する運動能力の衰えた事を告げるものである。
人は年齢を重ねるごとに用心深くはなるが、それと並行して
身体も軽々しく動かなくなるのは、自然の成り行きである。 

当然、レットラインを飛ばす距離も歳と共に減少していく。 
高いところから飛び降りる事も足がすくむ。
機敏に動けなくなる。 
しかし、上手くできたもので、衰える身体能力をカバーするのは
経験から生み出す技術と用心深さである。

昔の話で用心深さについては、名高い木登りの話しがある。
植木屋の棟梁が、職人を指図して高い木に登らせ、枝を切らせていた折の事
非常に危なく見えた時には何も言わず、やがて仕事を終えて降りるとき
軒の高さぐらいになったころ「 危ないぞ!気をつけて降りろ 」と言葉をかけた。
それを見ていた人は、こんなに低くなったのだから
もう飛び降りても怪我をすることもないだろう。 
それなのにどういう訳かと?と質問した。
「 目が回るくらいに高く枝がしなって危ないうちは、自分で恐れて注意するから
  私が何も言わなくても大丈夫です。
  過ちは必ず、もう大丈夫と気の緩んだときに起こるものです。 
  私が声をかけるのは、いつも油断する気持ちが見えたときです。」
と答えた。

棟梁のつぼを得た注意の仕方、指導の仕方は、私たち安全管理や
指示する立場にあるものにとっては、大いに教えられ、考えさせられる話しである。 
何事も最後になって気が緩み、そのために思いがけない失敗や
取り返しのつかない結果になる事は世の習い。 
これと似た話しで、私の知っている人が山に登って下山途中
もう間もなく里山近くに到達する間際、汗が出てきたので
歩きながら、ウェアを脱ごうとした。
そのため足元の悪くなっている事から注意がそれて
バランスを崩して何メートルも滑り落ちてしまった。 

立ち止まって服を脱げばなんでもなかったものが
もう里だという思いに気を緩めた瞬間の出来事であった。
楽しいはずの登山はそれを境にして右足骨折の重傷を背負った。 
何事もあと僅かで「 安全の記録を更新 」と言うその頃の災害が
皮肉にも意外と多いことを、誰もが真剣に受け止めるべき警鐘ではないだろうか。



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