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Blog/2019-03-28

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船神さん

その昔の昔、まだ粗末な機器類しか備わってなかった旧式の船舶時代の話である。
一人の船長は毎朝ブリッジに佇み、そこにあたかも神がおわすが如く
船神さんに礼拝し、船舶の行く末を祈る。 
祈りの心には「 今日も一日、自分の力の及ぶ限り安全に運航を尽くしますが
人智の及ばぬ危険に遭遇したときには、どうかお守り下さい 」
と言う敬虔〔 けいけん 〕な祈りを続けていたという。

やがて一日の仕事を無事に終えた夕べには
「 今日も一日、安全で仕事を終えることが出来ました。ありがとうございました 」
真心の礼拝で一日が安全に過ぎて行ったものである。 
神仏の御加護は人によって差別はないが、我が方にご加護を頂く資格があるかどうかを
反省せねばならない。 
仕事を怠けながら、御加護だけを望むのでは虫のいいことである。
 
出船のとき誓ったように一日中しっかり舵を取り、入港をしたとき
「 今日はお陰で無事でした、ありがとうございました。 」
船神さんにお礼を言う毎日であった。 
その心がけを持って神仏の御加護は頂けるものだと信じていた。
古い船乗りの「 安全祈願 」の姿を物語る書物からの一説。
「 求めるものが救われる 」と言う願いは、敬虔なる努力があってこその真である。

この話しを聞いたとき、私は皆さんの船舶の操舵室にも
間違いなく「 船神さん 」が飾ってあることを思った。 
昨今の事、日々の出港や航海には船神さんに手を合わせて、礼拝する人はいるだろうか。 
まさにその昔は粗末な航海道具で、航海に出れば生きて帰れるものか
自らの生命をかざした切実な祈りに違いなかった。 
明日は再びこの港に帰れるのか・・・
そこにかけた命の真剣さこそ、自己や家族を思う尊さに現れたものであろう。

海の仕事は何事にも劣らない危険な仕事を背負っている。
「 船神さん 」は厳島神社や金比羅山のお札を納め
船の行く手をしっかりにらんだ位置に安置されている。 
貴方の舵の行く手をにらんでいることは、偽らない事実である。 
神々の目線上に船の安全の針路があることを忘れてはならない。 
それぞれが安全な運航を手がける事を「 船神さん 」「 船主さん 」「 家族 」「 会社 」は
一様に安全を願い続けることは、古今東西今いつの時代も変わりはない。

 
人は良い事をすると、良い事があると思う。
それは善を施したから、宝くじが当った!と言うこととは発想は異なる。 
人に良い行いをすれば、良いことの習慣がつき、次々と善の方向に意識は動き
善は善を増幅して、やがて良い人が集まり、幸せを築けるというものである。 
つまり「 船神さん 」を拝む心を続けることは、神のご加護を
受け止めるに相応しい、人間像が出来上がるということを表している。 
海に祈れば海に報われ、海にさばかれる、その真実は貴方の行く手にあり
たゆまぬ努力の掌中にある。



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