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Blog/2019-05-20

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過去を活かす今

話の始まりは筆者の若かりし時代。 
日本社会全体が経済成長の荷車時代であった。
その頃は国民の大多数の人が貧乏であり、誰もが立身出世のチャンスに燃えていたころ。
けん引する重工業の地域では、製鉄工場の煙突から吐き出される噴煙が
スモッグ注意報となって毎日のように呼びかけられていた。

ちなみにその当時の流行歌は「 いつでも夢を 」「 王将 」「 可愛いベイビー 」等
まさに敗戦から立ち上がる日本の夜明けを象徴する、庶民躍動の頃であった。
あろう事か私はその頃、二度にわたる大怪我に生死を危ぶまれ
大よそ半年を華の都大阪で、病床に横たわる運命に泣かされていたのであった。 

一度目は鉄骨の下敷きになり左足首骨折の重傷。
二度目は初めて挑戦した船舶の職場で、大時化の船体大傾斜に転倒
ガラスの破片で手首を切り裂き、九死に一生の重症を負った。 
一体自分は何者なのか。
何のために生まれてきたのか。 病
床の身は身体より心の中に大きな傷を背負ってしまった。

今考えみれば、地中の果てに転落した奈落の底も、この苦労が存在しなければ
今の私も存在しなかった事に気がつく。 
一人の人間の一生など、宇宙の長い歴史に比べれば
ほんの一瞬の「流れ星」ほどの値打ちも無いものであった。 
ただの一時期・一瞬この世に生まれて、そして消えていくだけの、はかないものだと思える。

気も狂わんばかりにもだえ苦しみ、運命の余りの惨めさに人を憎みさえもした。 
しかし、真実はどんなにこの世を憎んだところで、自分の傷は癒えるわけではなかった。
入院の病窓から見下ろす同学年達の通学する姿を羨望の思いで眺めるとき
一日でも早くこの怪我を治して少しでも早く自分を取り返したい!元気になりたい!
敗者の思いがこみ上げて来たものであった。

「 生きよう・生きるのだ!! 」思いが過ぎる焦りは混乱に陥ってしまう。
何故こうも不幸に陥るのか、不運な病床で悩み苦しみ
もがいた時期その後の人生は、不思議な事に只の一度の怪我も病気もすることはなく
見事に立ち直ったのが不思議な運命の辿りであった。
「 九死に一生の命を永らえることが出来たのは、私は何かのご縁で
  この世に再び生かされたのである 」
命は自分の所有物だと思い、思い通りにならなければ腹も立ち悲観もする。 
はたして、人は自分の力でこの世に生まれてきたのであろうか。 
宇宙的な確率の中で「 母と言う神 」その意思のもとに頂いた命ではなかったか。 
生かされてこの世にあるなら、そこには感謝がなくては成り立たない。

仕事はなぜするのか? 
人の役に立つためであり、傍〔 はた 〕を楽にするためである。
その思いは、やがて自分の為へと返ってくる。
つまり、この考え方こそ生かされて生きる意味を紐解く正論ではないだろうか。 
不思議な運命を振り返る時、私は確かに早死にされた自分の両親の命が
重ねられているに違いないと思うようなっている。 
両親と先祖代々の命をゆだねられて、私は確かに生かされているのではないだろうか。 
今を大切に生きいく使命に、父・母の命の重なりを思い続けている。



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