船舶管理から船員確保まで皆様のニーズにお答え致します

Blog/2019-06-24

Top / Blog / 2019-06-24

生命の価値を 愛おしめ

人は誰でも生まれたときには、何も持っていない裸一貫である。 
しかし、同じ裸でも裕福な家庭に生まれれば、身体を包む衣類からして
暖かい高価なものに包まれるに違いない。
目が見えるようになれば、家庭には裕福な家具がそろっていることも
当たり前の環境に育つものであろう。

私が生まれて育った家には、初めから贅沢なものは何も無くて
生活に必要な最低限は、限りなく質素なものであった。 
台所には「丸いちゃぶ台」が一つ、その上に裸電球が一灯ぶら下がっていた。 
かまどには鍋と釜が一つずつ乗っかっており、それ以外の何も無く
幼い記憶に自慢できるものは何もなかった。

それでは、今の生活はどうであろう? 
大きな冷蔵庫・エアコン・電気釜・食洗器・ワンタッチの水道栓
豪華なテーブルがドンとある。 
生まれてきた時は貧乏そのものであったのに、成長していくに従い知恵もつき、欲もつき
様々なものを持って世間並みの生活が完成していく。
気が付けば、家を持ち、車を持ち、贅沢な家具が溢れている。

あの貧乏で物の不自由な時代は、一体何であったのだろうか・・・
今の生活はまさに天と地の落差ではないだろうか。 
ラジオさえなかった私の家に、今は3台の大型テレビが据えられて
夢のような映像は夜を徹してでも見る事ができる。 
まさに人間の欲望は贅沢に染まれば留まるところを知らない。
欲しいものを一度手に入れればそれだけでは満足せず、直ぐに次のものが欲しくなる。
さらに一度手に入れたものは絶対に離したくないと思う。 
そしてさらに、執着心は失うことを怖がって固執欲に凝り固まってゆく。 
全て強欲な人間の本質である。 
しかし、人間は生まれてくるとき裸一貫であった姿をもう一度思いなおせばよい。
 
はっ!と、気づくことがある。 
どんなに裕福な生活をしていても、どんなに栄華に生きられても
死出の旅に立つ時、この世で得たものは、この世に全てを返して
裸一貫で元の姿に戻らなければならない。 
この世からあの世に渡る川を俗にいう「三途の川」と言う。
その川を渡れば、人は仏に代わる。 
三途の川とは「煩悩」を捨て去ること。
つまり、強欲から得たものは全て前世に置いて渡るのが「煩悩を流す川」である。

人間は本来無一物。
形あるものは必ず消滅する。 
限りある命を思う時、怠惰な災害や恥知らずの事故を憎む。 
そして計り知れない生命を尊び、遵守に生きる価値は絶大なる心の財産ではないだろうか。 
与えられて生きる時間は短すぎる生と死の空間にある。
「安全」とは限りなく「生をいとおしむ」空間の価値をいう。



a:140 t:1 y:0



コメント


認証コード(7021)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional