船舶管理から船員確保まで皆様のニーズにお答え致します

Blog/2019-09-05

Top / Blog / 2019-09-05

貧乏自慢

私はその昔、船員になる前には、2年間大阪で仕事をしていた時期があった。
17歳の頃、都会でお金も無いのに、大胆にも一人でアパートを借りた無謀を思い出す。
世相は不況真っ盛り、いわゆる昭和のなべ底景気といわれた時代であった。

田舎から出稼ぎに上京した私には住む家も無く
大半が住み込みで勤務する待遇は劣悪条件が殆どであった。 
ある日の事、友達と一緒に部屋を借りれば、そこを基地にしてお互いに良い就職口が探せる。
と、誘われて私はその時、持っていた僅かな貯えを全部アパート代に注ぎ込んでしまった。
ところが、相方の発想に同意して、お互いが月ごとに家賃を交代で受け持ち
最初は私が家賃を建て替える約束で始まった。 
しかし彼は私を裏切って、自分の支払い月には田舎に帰ってしまったから大変。 
若気の至りは貧乏の谷から、更に極貧という底深い谷の方向へ落ち込んでいった。 

私の借りた部屋は一番安価であったから、階段の下にある4畳半の部屋で
まともに立って歩けない階段傾斜の天井であった。 
住人の2階への階段を駆け上がる足音はドタドタと隙間なく聞こえてくる。 
さらに隣の声は朝から夜遅くまで、お母さんらしい人の怒り声。
「 早く起きろ!飯を食べろ! 」
ベニヤ板一枚越しの声は、まるで耳元で私が叱られている間近に聞こえてきた。
それは住むというような夢のある場所ではなくて、雨露を凌ぐ犬小屋に等しかった。

部屋は出来たがさて、食べるお金は無いのである。 
私はまた職を探さなくてはならなくなった。
しかし、この様な場所にはとても長くは住めないと思った。
又、住み込みで働ける職場を捜さなければと、すきっ腹に耐えながら街をさ迷い歩いていた。
その時、ヘリコプターの爆音が耳に激しく轟いてきた。 
ふと空を見上げた時、空から不思議に白いビラが
スイングしながら舞い降りて来たではないか。 
見出しに目を移せば皮肉なものである。
「 皇太子と美智子妃の御成婚 !! 」
国民が祝に沸く祝福の号外ビラであった。 
時は昭和34年4月10日。
まだ朝早い09時頃、私は失意の真っただ中は、孤独な無職の浮浪者であった。

広い大阪に私だけが見捨てられた孤独で、そのビラを読む気にもならなかった。
「何が目出度い!! 」
私はその朝も電車賃だけを持って、姉のアパートに食料を頂くための物乞いであった。 
嫌な姉の小言を頂きながらも、姉としての情はポケットに300円札が収まっていた。 
いい加減に就職を探して、あの部屋も出なければ来月の家賃も無い。
孤独な思いで足を引きずった。 

失業者・貧乏・低学歴・頼る人のいない都会は、まるで地獄のような冷たさに思えた。
しかし、人生の旅はとことん失敗と裏切りに汚れながらも
私は決して悪の道に陥らなかったのは何故であったのか。
人の温かさをいっぱい頂いて、素直に育てられた島育ちの土壌は
一人の男の芯を健康にして真直ぐに育ててくれたからに違いない。
今でも「おじいさん・お祖母さん・兄弟・近所の人々・友人」
そして温かい風土に感謝することを、忘れてはならない。

あの時の「皇太子と美智子妃の御成婚」のビラが青空から白銀になって舞い降りる光景は
私の心に焼き付いたままである。 
あれから57年の年月は過ぎ去ろうとしている。 
空から舞い降りたお二人は、見事に天皇・皇后の大役を収められて
すでに上皇様になられている。
私もこうして、長いようで短い人生の輪転を振り返りつつ
苦労時代を懐かしく思い出している。

結局、人生の登山は、登り始める道は様々にあるが、目指す山頂は一つである。
人として希望を目指すものは、誰でも艱難の山を一人で登ることである。
そして頂上への王道がない以上、曲がりくねりながら苦難に耐えて登らなければならない。
全ての人生道は、今昔同じ努力という道の上に、足跡が続いているものである。



a:54 t:3 y:1



コメント


認証コード(2432)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional