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Blog/2019-10-01

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気持ちを切り替えれば 時は輝く

私は50代の半ば頃、60歳になれば定年をして、自分の好きな時間の中で
悠々自適に暮らしてみたい。 
読書・旅行・庭いじりもできる・山登り・魚釣り・できれば絵画や料理教室にも通いたい。
そんな憧れを空想しながら60代へと差し掛かった。 
しかし現実はそんな想像の世界に入れるほど生易しいものではなかった。

勿論仕事も継続しなければならない諸事情はあったが
ひとたび社会構造の中で時間を刻みながら働き続けていた者が
その長い習慣の中で好きなことだけをして生きていけるのは
決して現実的ではないことがわかってきた。
今までは社会的に時間を拘束されていたが、ある日突然に開放された場合
その当面は好き勝手な時間を楽しむことはできても、結局そのような生き方は
社会通念からは外れていると言う事である。

友を失い、会社へ行くという心構えは、何にもしなくて良いという無責任に代わり
同時に、誰からも頼られず忘れられる立場に置かれてしまう。 
つまり社会的には不要な人間像が見えてくる。
いずれにしても空腹になれば、まず女房殿のお世話にならなければならない。
好きな時間も続けていれば、それは意外と理想とはかけ離れた、退屈な時間に変わって来る。
有り余る時間を昼寝でもして過ごせば、今度は夜が眠れなくなる。 
つまり無制限の時間ほど孤独を感じる時間は多くなるのではないだろうか。

老いて何もしなければ自由身勝手は、多くの仲間たちとは疎遠になり
育んできた知恵や技術は何の役にも立たなくなる。 
さらに社会に役立たない人は、まず給料と言うものを受け取ることは出来なくなる。 
つまり家庭にとって稼がない男は、粗大ごみそのものの価値に下がる。
そんな訳で、大よそ8割の人達が自由な時間の不自由を悟り
さらに陸上での年金暮らしの厳しさを体験すれば、海上に再就職を試みることに不思議はない。

人は自由がありすぎるより、拘束された社会通念の中に生きて
その重責を果たすから必要な存在となり、生きている実感が得られる。 
社会のルールを守るから社会の一員であり、そこから生まれた時間に
感謝や喜びがうまれる。
もし皆さんが堂々と隠居生活に入り、不自由なく満足に暮らしていけるものであるなら
自己の中に相当の趣味や、やりがいを見つけない限り
寂しい老後に入ることが想像されてしまう。
そこには1人の時間を悠々自適に使いこなす覚悟と達観が必要であり
社会通念から離れた仙人暮らしでも試みなければならないかもしれない。

働く時間の拘束と海上に隔離されて抑制されるからこそ
休暇下船は楽しいものであり、365日が休日とは、思いのほか苦痛な時間になるように思える。 
老いても夢中になれるものを見つけることが出来るのか
自由の裏側には必ず孤独な時間が待っている。 
老後とていう厄介な時間を今日も考えている私である。



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