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Blog/2019-10-18

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一日一生

一日は24時間、余生も24時間、生かして使う24時間 。 
苔の生えた同級生数人が集まったときの話。
「 未だに現役で頑張れるのは凄い事だ!実に羨ましい 」という。
「 俺などは身体の半分はもうあの世へ片足があって
  現世の事は雲の上から見ている他人事のようだ。」と言う。 
私の故郷・百島の同級生は80余人いたのであるが、最近配布された名簿を数えれば
寂しくも半分くらいになっている。

すでに死亡した人、住所のわからない人、その中で現役として仕事ができている者は
私と他に大阪で役員勤務をしている親友と2人だけになってしまった。
これも健康でいる事と、船の仕事に携わった事が
私の職務を今日まで保てた大きな理由だと思える。
勿論周囲の皆さんの理解と協力は、感謝してもしきれない
大きな生き残り条件の一つである。

時には、仕事を退いて時間を持て余している友達をみれば
羨ましいと思ったこともあるが、良く考えれば、「 余生 」とは
余分な人生と解釈することもできる。 
毎日が日曜日になれば、どうなのだろうと想像しただけで
余分な人生として信州長野の寒村の物語、60歳を過ぎた老人は
食い扶持を減らすために、遠くの山に遺棄する「 姥捨て山 」を思い出す。
貧しさの為の悲しい物語である。

弊社乗組員の年齢構成は60歳~70歳までの人が現役で多く働いている。 
実は船員と言う職業で無い限り、このような高齢で現役就労は続けられないと思う。
ここに高齢を奨励するものではないが、ここまで頑張れる職業に謎解きがあるとすれば
船乗りさんは喰いはぐれが無い。
その心は「 流石に船乗り、人生の波乗りが上手い 」と
誉め言葉の一つはあっても良いのではないだろうか。
 
余生として自分の人生を楽しむのも、余生を捨てて生涯現役を貫くのも
その人の器量と健康次第である。
余生を人生の波乗りとして頑張るのか、お腹の脂肪や、粗大ゴミになってしまうのか
それはあなた次第、人生の捉え方次第である。 
私は人生は生きている限り、何事にも終わりは無いと考えている。 
つまり、全ての事柄は始まりである。 
今日は今日で始まり、例え仕事をリタイヤしても
そこから又別の人生の始まりだと考えることにしている。
つまり、余生など有りはしない。
生きている限り一生懸命に生きることが始まるものである。

余生とは与生〔 よせい 〕とも言える。
もしかしたら、長い人生で学んだ経験をあたえて生きることの始まりである。 
歳を取れば皆さんが先輩としての見本となり、知識と知恵と礼儀を与えて生きよう。 
老も若きも日々が始まりである。 
今日も明日につながる安全目標の始まりである。



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