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Blog/2020-02-17

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空腹は 満ちる幸せの 入れ物

幼い、鼻たれ小僧のころは野良仕事の手伝いや、友と遊んで帰る夕餉時
少年は何よりも空腹で真っ先に動き出すのが嗅覚であった。 
クンクン・・今日はうどんの匂い・魚の匂い・サツマイモの匂いなど
空腹の本能はかなりの距離から風に乗って嗅覚が察知し始める。 
時代そのものが貧しいということは、人間の体の五感機能
目・耳・鼻・舌・皮膚・感覚は素朴に研ぎ澄まされていたようである。

その頃は家に帰ってもテレビはない、新聞もない、ラジオもない
時計も無い、ゲーム機なんてとんでもない。 
子供心の楽しみとは空腹を満たすためだけに、生きていたような感覚であった。
しかし不思議である。
それでも不幸であったかと言えば、無邪気に友達と野や山を駆け巡り
夏には海に潜り魚と遊んだ素朴な幸せがいっぱい思い出に残っている。
空腹が満たされる幸せ。
うまいものが食べられた幸せ。 
「 ああ、うまい!ああ美味しかった! 」
それだけで、ただただ少年は幸せであった。 

心の中に求めているものは、まず満腹とまず美味しいもの
まず甘いものだけの素朴な要求であったような気がする。 
つまり、幸せを感じる要素とは、空腹時に食べる美味しい食べ物がのどを通る時
自分の内側に感じる一番の幸せ度ではなかったかと思える。

時代が進んだ今どきは、どこの家にもテレビが有って、誰も見ていなくても
つけっ放しの無駄な時間は意味も無く過ぎて行く。 
つまり寝ても覚めてもテレビは24時間、情報を伝え続けている。 
必要でもない娯楽番組の氾濫は、ますます人心まで下品に落としめてゆく。 
テレビの氾濫は視覚・聴覚に入った情報だけが物差しとなり
人の幸せ感覚まで惑わしているのではないだろうか。

「 不平・不満・愚痴・泣き言・悪口・文句 」が、テレビの向こうには溢れている。
人の悪口ばっかりを言って番組を成立させるもの。 
人をだまして笑いを取るドッキリやバラエティ番組は
あまりにも生きる価値を軽んじて、人の失敗の上に無理やり笑いを作り上げている。
テレビという映像が満ち足りた物の豊かさを拡大し
幸せ度を外に求める方向へとはき違えさせていく。

綺麗であること・豊かであること・大きいこと・広いこと
外側に求める幸せは常に変化して、不平が渦巻き、人の心の底を満たすものではない。 
本当の幸せとは、汗して渇いたのどを潤すコップ一杯の清水であり
それらを受け入れる健康な身体を言うのではないだろうか。
元気であれば幸せ。
多くの欲に満たされるより、今あるものに感謝して「足るを知る」生き方こそ
手に届く幸せとは言えないのだろうか。
安全目指して今日も頑張ろう。



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