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Blog/2020-02-18

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雨だれ 石を穿つ

自分の思っていることが、うまく進まない。 
自分では頑張っているつもりだけど、その成果は表れてこない。 
船内の生活もチームワークも今ひとつなじまない。 
そのように思う日常は労働意欲も前向きになれない
次第に嫌気がさして何事も中途半端になってしまう。  
それでは、その人が本当に努力しているのかと言えば
成すがままの生活で努力の跡は見られない。

中国の諺に「 雨だれ 石を穿( うが )つ 」という言葉がある。
雨垂れも、長い歳月にわたって石に落ちつづければ
ついには石に穴をあけてしまう。という意味である。 
同じように、微力であっても根気よく努力をかさねれば
どんなに大きな仕事や困難な仕事でも、 最後には目的を達成できるのだという。

同義語に「 千里の行も一歩より起こる 」・「 塵も積もれば山となる 」などがある。
ここで大事なことは、雨だれが石を穿つのは激しく落ちるからではなく
何度も何度も繰り返して同じ個所に落ち続けるからであろう。 
逆にいえることはあきらめてしまっては、全てがそこで終わるわけで
何事も中途半端にして事を成就させることは有り得ない。

諺のように目に見える変化や進歩はないが、自分が努力している限り必ず人は前に進んでいる。
目には見えない努力で、遅々とした歩みであるかもしれないが
努力した昨日と今日は必ず違い、同じところに留まっていることなどあり得ない。 
言い換えれば人生などと言うものはもともとが凸凹の道でできているものである。 
こうして皆さんに向けて書き続ける私の「 安全 」への指針は
皆さんに返事を頂くことも、「 今日はいいことを書いていたよ 」と評価を頂くわけでもない。

丁度「 雨だれ石を穿つ 」気持ちの遠くなることに挑んでいるに違いない。
私の日々の発信は雨だれで、石は皆さんの胸の内に例えられのかも知れない。
それでも私は恥も外聞も気にせず、今日は明日の言葉を考え
明日には明後日の言葉を10年来、発信し続けている。

此の日々の指針を伝える事は、努力であろうと思えば確かに努力であろう。 
時には「 安全指針 」であり、時には「 生々しい海難の事例 」であり
時には「 人生の失敗談 」などが語り続けられている。 
私の発信がどこかで皆さんの胸の鐘を片時でも鳴らすことが出来たとすれば
それは本当に光栄なことである。

こうして発信し続けることは辛い事であるが、むしろ書けなくなれば
そこで私の努力は終わる時でもある。 
この継続に対して何が残るのかわからないが、たった一つ私にしかできなかった
心に残る精一杯の誇りに違いないと思うことにしている。 



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