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Blog/2020-05-20

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いただきます

「 安夫、おまえはねぇ、木の箱に詰められて、この島へ流されてきた子よ!! 」
突然に姉が、末っ子の私にそんな話を始めた。
そして2番目の姉が引き継いで話を続けた。
「 その箱をお母さんが海で拾って、可哀想だから家に連れて帰ったんよー 」

私はまだ幼くして純心だから、二人の姉のそんなたわいない話しを聞きいって
次第に本当だと信じるようになっていった。
なぜか、悲しくて涙がぽろぽろ溢れ、傷ついたまま家を飛び出して走った。

息を切らせながら、本家に居るお婆さんの懐に飛び込んで尋ねた。
おばあさんは笑いながら、「 そんなことは無いよ 」
「 あんたが生まれた時、おばあさんも産婆さんと一緒に安夫を取り上げたんよ。
  お母さんは最後に生まれた安夫が一番可愛いと言っとったけぇ
  それは姉ちゃんらに騙されただけよ・・ 」
なんでもないと思えるからかい問答の中、長い年月このいじめ話が
私の記憶の中に深く閉じこめられたままになっていた。

今から思えば「 拾ってきた子供 」と言ういじめ話は
けがれの知らない童心にとっては、相当のインパクトがあったようだ。 
あり得ない話であっても「 もし本当だったらどうしよう 。自分は捨て子や! 」
そんなショックがあった。
私はまだ小学校に上がる前の頃だったと思う。
当時は新聞もテレビも無くて、我家にはラジオさえも無くて、全く情報の無い時代であった。

それだけに子供の心は誰もが、天使みたいに汚れていなかった。 
汚れていない心は真っ白でどんな色も濃く染まる。 
それは自分の誕生を信じるにも、父は戦死し、母も働きすぎて死んでしまえば
私はもしかしたら、他所の家の子かもしれないと思うには
あまりに条件が揃っていたのである。 
子供心に自分で生きている感覚より、多くの人に世話になりながら
他人様の人情で活かされている状況をしみじみと感じていた。

昼は本家のおばあさんと、夜は親せきの家でと、お呼ばれの食事を頂きながら
育てられたからである。 
おばあさんは皆から私を守るだけではなく、これから先の色々な躾〔しつけ〕も教えてくれた。
「 ご飯を食べるときは、両手を合わせて頂きます」
食べたら「 ご馳走様でした 」と言いなさい。
それは「 頂いて有難うございます 」
「 こぼしたご飯の一粒でも拾いなさい 」「 頂いたものを大事にする 」そんな教えであった。

母親像も父親像も浮かんでこない代わりに、お婆さんは私の大切な仏様である。
「 神様からの命令で、人は活かされている 」
食事のときには両手を合わせて「頂きます」とは「命を頂戴します」である。 
人間は常に、他の生き物を食べて、その命を自分の中に取り込んで生きているから
「命を、頂きます」であると教えられた。 
お婆さんは私が18歳の時に高齢で亡くなったが、それから50余年
今でも私の心の中に母親像として永遠に生き続けている。



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