Blog/2021-02-16
高齢者いわく円熟者
日本の総人口に占める65歳以上の比率は28.7%[3617万人]で
全国民の3.6人に1人が高齢者の枠に入る。
勿論、私もその中の一人で、年金の受給者として家内にはよく次のような話をする。
「私もお前も、今は年金受給者で国に法給をもらうのだから
言い換えれば夫婦とも立派な「国家公務員」という立場になる。
船乗りを全うして最後には国家公務員にしてもらったのだから
何と有り難い出世で、今後は何よりも自分の健康第一を目標にして長生きを目指したい。」
先日、「国家公務員」の話を姉に話したら、あんたは良い事を云うと
大笑いでお誉めに預かったしだいである。
この最近、高齢者諸氏、皆さんの話題の中に「 もうこの歳になったら
北の海で厳しい航海に挑んだり、寒さに震える港へは行きたくない。
だんだんと身体も動かなくなるから、瀬戸内の穏やかで楽な航路の船に乗りたい。」
と言われる。
誠にごもっともな希望でありご意見である。
ふり返れば、現役バリバリで頑張っていたころの私は、先々の航路を云々と言うより
直面する家族を養う生活維持で一杯であった。
仕事にあぶれないで食い繋いで行くために、自らの職場と航路の選択肢は
ほとんど考えることは無かった。
しかし、高齢の歳に至れば、おのずと先の短い1年1年を
契約期間のように考えてしまうのは当然の視野である。
昇りつめ、戦い済んで日が暮れれば、誰でも高い山や深い谷に
今さら挑戦する気持ちは失せて来る。
その思いが続けば更に年齢は弱気に傾斜して、普段よりいっそう
老けるスピードは加速してゆく。
しかし、とある米国女性作家の言葉に私から年齢を奪わないでください。
この年齢は私が働いて働いてようやく手にしたものです。
という不思議な考え方がある。
随分とかっこいい言葉だなぁと思った。
たしかに、人は年齢と共に肉体の成長は終わって行く。
しかし、人間的な成長はいつまでも続くものであり、またそう考えるべきだと思った。
成長は何も身長だけが延びることではない。
人として心の部分は果実が熟れた後にも、甘味が熟成してゆく過程と
同じ味わいのものかもしれない。
世の中はまさに思い通りにならない事の方が多い。
そこで、人々は歳を拾いながら、我がままを矯正して許し合うことを学び
円熟してゆくこともまた歳の功ならではないだろうか。
ここに論じる基本は、人間形成から生まれる「 安全の定義 」を模索するページであり
「 安全 」を作り出すものは、人の心という私の持論に話をもどせば
その心を一番奥深く蓄えているのが、まさに(経験豊かな)高齢者乗組員の皆さん方である。
「安全とはなにか!?」安全とは人の行動の結果を言うものである。
目的や目標ではない。
人がいかに行動するか?それが一番大事であり、その結果として安全も危険も共に発生する。
いわば私の統計では、まさに円熟に勝る高齢者諸氏こそ、安全の要であり
事故率の少ない経験豊かな集団である事実にも着目しなければならない。
「 この職場からどうか高齢者を奪わないでください。
この年齢は経験豊かな海運の技術を、働いて磨いてようやく手にいれた
素晴らしい円熟者なのです。」
高齢を美徳とする米国女性作家の心得を頂いて、高齢者推奨の思いを
このページに告げたいものである。
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