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Blog/2021-02-18

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失って分かる 物の価値

昔から言い伝えられるお馴染みの諺に「 いつまでもあると思うな 親と金 」がある。
いつも身近にいて安心させてくれる親は、やがて年をとれば、この世を去ることになる。 
そして蓄えたお金も、無計画に使い続ければ、すぐになくなるものだから
自立と倹約の心を早いうちから持つべきである。という戒めの意味を言い表している。

いつも当たり前に感じている、その時の状況や有りようは
いつまでもあると思い込んではならない。
「無常観」につながる大事な諺である。 
私はその昔の若かりし頃には、幾度となく不注意の怪我に泣かされて
残念ながら幾度も入院経験をしている。

記憶にある入院先の病院から、眼下の公園が良く見えて、そこで遊ぶ子供たちや
元気に散歩する夫婦連れの姿を見るにつけて、彼らの五体満足な姿は輝いて見えた。 
ギブスに固められた自分の足は余りに行動の自由を失い、歩くことさえままならない杖の姿は
当たり前のことを当たり前として捉えず、人々の普通に歩く姿さえ羨望を持ち
ありがたいことだと感じた記憶が強くよみがえる。

健康と安全でいられると言う充実した生活も、今の仕事も
今日の食事が美味しく食べられることさえも、生きていく全ての条件を
人々は当たり前だと思い、ありがたいとは思わない。 
しかし、実はその中の一つでも失ったときに、それらの貴重な価値に
初めて気づくところが、人間の愚かしさである。

また、お金持ちだから人は幸せであるとは限らない。 
随分以前の大きなニュースにあった、韓国財閥の長女が関与した事件
「 ナッツリターン事件 」として、たくさんのお客を乗せた飛行機を
彼女の蛮行で飛行場に引き返させた事件があった。 
あり過ぎるお金に贅沢な生活が続けば、心は傲慢となり
人を思いやる気持ちを失う心の病が、この事件の裁かれる本質であったろう。

彼女は1年間の受牢を申し渡され、貧しい食事の日々に、初めて気づくことであったろう。
恵まれ過ぎて我儘放題な昨日までの生活は、物の価値を知ることも無かった。 
実は感謝を失い価値を失った不幸そのものの生活であったこと
当たり前のことが、果たして当り前であっただろうか? 

同じ様に、今の皆さんの仕事に、危険が直面してみればすぐに答えは出てこよう。 
安全に守られている日々の環境は、皆さんが努力して作り出している最良の条件の中にある。 
この世に「無常」は何一つあり得ない。
「 いつまでもあると思うなかれ、我が健康・・そして、無いと思うなかれ、運と災難 」
一つひとつに恵まれている意味を見直して、今、存在する「安全と健康」に感謝しながら
いつまでもその心を維持できることが、私の切なる日々の願いである。



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